ORANGE overALLS drive

オレンジのつなぎを着た自転車乗りのブログ

その男、ポールにつき。

暦の上では春。出会いと別れの季節。

ここにも一人、別れを告げる人が。そーるずべりー・ぽーる(本名:百日紅 徹)。
言わずと知れたイナーメ信濃山形のマスコットキャラクターである。

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彼との出会いは2013年1月のイナーメ撮影会。当時まだ信州大の学生だった僕は最後の学生生活を謳歌していた。

武田の親分にイナーメに誘っていただき、社会人1年目からJPTで走ることになっていて、
イナーメだと同じ長野県のセーゴさんしか知らず(なんなら監督の顔さえ知らなかった)、不安を抱きながら修善寺に行った覚えがある。

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でけぇ外人さんおるわとその時は思ったものだ。正直に言うとその時の亀石リピート練で小室さんに千切られた思い出しかない。
千葉県という知り合いが誰もいないところに就職し、社会人一年目は生活に慣れるのがいっぱいいっぱいで、出るレースすべてDNFの三文字。
そんなだからみんなに打ち解けられず、レース会場にも一人で行くことが多かった僕。
ポールさんを初めて車に乗せたのは、その年のいわきクリテリウム。まだジムニーに乗っていたので輪行で来たポールさんと皿さんを連れて、小室さんと一緒に夕食へ。まさかのガスト。
首を傾けないと座れないほどの座高。「可愛い車ですね」と言われて「ポールさんがでかいんですよ」と言ったのを覚えている。皿さんは荷台でちいちゃくなっていたなぁ。懐かしい。
そこから彼を日本のブルーマウンテンこと青山で拾うことが当たり前になっていく。ちなみにポールさんの出身もブルーマウンテンということで、彼はこの壮大なダジャレを持ちネタにしていた。
僕は実家にあるBIGHORNと車を交換し、積載力をあげた。自転車にかける緩衝材として使っていた汚い毛布を「マジック毛布!」と言って褒めてくれたのは、後にも先にもポールさんだけである。
2013年末にあった伝説のBOSO GPで初めてのツーショット。

f:id:orangeoveralls:20160226182120j:plainPHOTO BY くぼた氏

親分の強い誘いでポールさんが2013年夏からトラック競技を始めた。
初めての団抜きは、かりがねバンク。ここからイナーメの団抜きがスタートする。

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元々持っているクロノマンの資質をいかんなく発揮し、2014年の1月には国際大会出場するほどに。
というのもオーストラリア国籍を持つポールさんが出ると、一か国増えてUCIポイントが上がるから。
もちろん始めて半年の人が通用するはずなかったけれど、それでも楽しそうに走る姿を見て、誇らしかった。

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その時にポールさんが僕のGHIBLIを使っていて、そこにいた観客の皆さんにドヤ顔で教えた覚えがある。
ウィンタートラック等を経て、イナーメ団抜きは四人目のメンバーを変えながらも徐々にタイムを縮めていく。
ポールさんの後ろは全く風が来ないし、ペースの上下が無いので走りやすい。ポールさん抜きには団抜きもTTTも考えられない。
いつだかタスマニアから帰ってきて、痛風になっていてもその状態で走っていた。
そこまでする必要が?と思ったけど、そこまでしてくれるから色々やってあげたくなる。
2015年の全日本トラックにて目標としていた実業団記録を塗り替える。

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監督を抱えるこの写真は、自分たちが望んでいた形。

2014年の加須のTTTでは高岡さんと三人で会心のレース。僕自身もそう思っていて、これ以降はTTTでピタッとはまった感覚はない。

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その年のTT JPで初めてポールさんに勝った。
どこかで一生勝てないと思っていた僕は(体格的な面とか)本当に驚いたのを覚えている。
ポールさんは本当に祝福してくれた。この人は隙あらば褒めてくる。
僕が全日本TT獲った時も、ポールさんはインドの奥地で電波を探し、祝福の言葉を全部ローマ字で送ってきた。

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そのインドでの話も面白くて、暗闇の中命がけの前を走る車両の後ろで命がけのダウンヒルをしたり(実際には転んでたけど)、
アイスを探し求めて、やっとありつけたアイスが人生で一番不味かったなどなど。本人から聞いたら三割増しで面白くなること間違いなし。
自分に非があると「スイマセン!」と謝り(回数は多かったけど)、恥ずかしげもなく「~~さんのおかげですよ!ありがとう!」と言える。
自分にできないことができる人に憧れるのは自然のこと。謝罪や感謝は言えるかもしれないけど、目を見て人を褒めるのは恥ずかしくてできない。いじるのは簡単だ。

レース会場に一緒に行くが、忘れちゃいけないのが観光である。
自転車レースはつらい競技だ。体に鞭を打ち、肉体の限界を超え、一位を目指す。もちろん落車もあり、怪我は絶えない。
普通の人にこの話をするとドン引きされる。
だからできるだけ観光して帰ろうというのが僕たちのルール。

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イナーメ温泉部と言い出したのは確か高さんだったか。温泉好きのポールさんはどこに遠征行っても温泉を知っていた。
いつだかポールさんが、僕たちが「温泉どこか知ってますか?」と聞いてくるのがプレッシャーだと言った。
良いところを案内したいというポールさんの優しさが滲み出る言葉だ。皆、部長と行けるならどこだってよかったと思ってるはず。

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コンビニで買う物も一つ一つ、まず、この成分は良い良くないを言ってからオーストラリア産のものを使ってるかどうかを確認し報告してくる。
使っていたら、その度に「いやぁ、いつもお世話になっております」というのが一連の流れ。

登山用のバックに黄色のドンキの袋に入った服などを入れて、レース会場ではまずお店を広げるところから始まる。
いつも出発しようとすると「チョト待ってください!」とバタバタ。やれやれ…と思って見ていた。

ポールさんとの最後のレース、寬仁親王杯の一日目が終わった夜。
リュウタロウはイナーメに残りますか?」と聞いてきたポールさん。
自分が帰ってきたときにチームにいるのかどうか聞きたかったのだろう。残っていてほしいという意味もあるのかもしれない。
僕は「わかりません」と伝えた。
それでも少なくともこの人の帰ろうとしている場所はココにあり、そこに僕がいることを望んでいることが素直に嬉しかった。
残さねば、という使命感。
小学六年生の時、先輩が抜けて4人でスタートした少年野球。その時の気持ちに似ている。

僕の成長を一番近くで見ていたのはポールさんだ。
僕自身、全日本を獲ってからこっち、フワフワした状態が続いていて、自分の先行きがわからず、楽しく走ろうとしても結果を求めるあまり、空回り。
気にしなくていいという言葉に頷くけれども、そう割り切れるほど馬鹿でもない。
周りの環境が変わっていくにつれ、自分がどう振舞っていたのか忘れ、戻ろうにも戻れない。
社会人になって言葉数が減ったことによって上手くしゃべれなくなり、過去の自分と比べてしまいイライラする。
海外に挑戦すべきだという考えもあれば、将来のために今の"固い"仕事を続けるべきだという考えもある。
東京オリンピックのこともチラつく。二足の草鞋で行けるほど簡単な道ではないこともわかっている。
どうせなら自分の未来を誰かに決めてほしい、誰かのせいにしたいとさえ思う。僕はつくづく弱い人間だと思う。
それでも時間は過ぎるし、つらい時こそ足掻くのが中村の血。
今年一年でどうなるかわからないけど、精一杯やるだけだ。応援してくれる人がたくさんいる。
もし僕がイナーメに残るのであれば、彼が戻ってくる場所を守りたい。

先週の話。ポールさんが日本を離れる日。
定時退社してポールさんを迎えに行く。湾岸線からレインボーブリッジを越え、いくつかのJCTを経て高樹町で降りる。
何度通った道だろう。人に聞かれたら「青山?よく行くよ」とドヤ顔してたけど、実際にはポールさんちに行く道しか知らない。
着いたらなんだか大家さんともめてるみたい。バタバタと出てきた。MTB一台とギター。登山用のバックは20kg越えてるのでは?重たい。
聞くと三日間寝ていないらしい。いつもギリギリでバタバタするのは最後まで変わらなかった。らしいと言えばらしいと苦笑する。
ケイトさんもつれて羽田空港へ。最近カンタス航空が羽田からのオーストラリア深夜便を増やしたようで。出発は22時。
これのおかげで日本のレースに参加できるみたい。
この飛行機の増便もポールさんの仕事で、「大変だったんですよ!」と話していた。
つまり彼は自分のために飛行機の便を増やした、と言っても過言ではないのだ。
ポールさんの登山友達の皆さんと食事。ポールさんは最後に鯖の塩焼きを頼んでいた。
4月の伊吹山HCで日本に来ることは知っていた。その後の白浜も来る予定だからすぐに会える。
それでも出発ゲートという目に見える別れの場所が近づくと、胸が熱くなる。
共に戦った仲間がそう簡単に会えなくなるのは、やはり寂しい。

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ユキとケイトさんと荷物検査の向こう側、ポールさんの姿が見えなくなるまで見送った。
胸にぽっかり穴が開いたみたいだ。
人は誰かに依存して生きていたいと願うものだ。
僕にはその"誰か"は、傍にいない。と考えたら何だか悲しくなって、帰りの車で一人で泣いた。
こうやって書くと自分の状況が見れて、少し落ち着くな。バスに揺られながら書いたから吐きそうだ。

とにかく、また春に会えるのを楽しみに。

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